仙台駅前南町通りの歴史
仙台駅前南町通りの歴史
藩政時代
「南町通」は仙台駅から南町に通じる未知の意味です。南町は芭蕉の辻の南の奥州街道に面しており、御譜代町(ごふだいまち)でした。
御譜代町(ごふだいまち)
Wikipediaより
江戸時代の仙台藩・陸奥国領仙台城下町で尊重された6つの町の総称。大町、肴町、南町、立町、柳町、荒町で、仙台の町人町の中で上位に置かれました。
明治22年
仙台駅開業にともなって17メートルと大幅に拡張されました。
仲見世や芝居小屋が立ち並びたいそう賑やかでした。
その時はまだ、青葉通りや広瀬通りはありません。
明治24年
明治24年、南町通りに桜と柳を交互に植えました。
これが、仙台の初めての街路樹です。
昭和元年
昭和元年に市電が開通。
戦前は仙台市内で代表的な大通りでした。
仙台座や競輪場もありました。
昭和8年
昭和8年、多門中将のひきいる第二師団将兵が満州事変から凱旋。
その前日に南町通りは「多門通り」と改称することが市会で可決し、市民は夜を徹して電柱の書き換えや飾り付けをしたそうです。
戦争に敗れ、南町通りに戻りました。
※多門通りの命名は凱旋前とする記述と、凱旋後とする記述が混乱しています。
戦後
戦後は、復興区画整理で広い道ができました。
卸売の店が多く、問屋街として位置付けられ、その後、たくさんのお店が揃いました。
戦後、仙台駅前南町通り「親和会」は商店を中心に作られた80年の歴史があります。
仙台駅前南町通り「親和会」の事業
仙台駅前南町通り「親和会」の事業
かつて、仙台駅前南町通り親和会は町内に街路灯を設置する事業を行いました。
その後、町内の積立金で治安を守るために防犯カメラを32台、会員様の建物の側面に取り付けました。
また、東二番町小学校、同幼稚園に各1台ずつ寄贈し、先生や御父兄の方に大変感謝されました。
その結果、犯罪の発生件数は激減して10分の1になり、仙台でも一番安心安全な街になりました。
仙台中央署と連携し常時動画をダウンロードできるタブレットを署に預けてあり、犯罪発生時には警察が即映像を解析し検挙に役立っています。
最近の活動内容
平成27年 3月1日 | 防犯カメラシステム運用開始 |
令和4年 1月21日 | 防犯カメラの運用に関して、 仙台中央警察署より感謝状授与 |
令和4年 6月29日 | 令和4年度総会実施 |
令和5年 1月24日 | 仙台駅前南町通り親和会 新年会実施 |
「親和会」組織概要
名称 | 駅前南町通り 親和会 |
事務局 | 斎藤コロタイプ印刷株式会社 〒980-0811 仙台市青葉区一番町2-7-10 TEL : 022-222-5481 FAX : 022-222-5416 |
役員 | 会長 齋藤 裕子 |
会長挨拶
仙台駅前南町通り 親和会の町内会長に2022年6月より拝命いたしました齋藤裕子です。
南町通りは昔、市電が走っていて、伊達政宗公のある青葉山天守閣に行く通りというイメージだけでした。
最近は新しいホテルやビル、行列ができるお店もできましたし、防犯カメラ設置町内会としても有名です。
今回、新しく町内会ホームページを立ち上げることで、広く仙台駅前南町通り親和会を知っていただきたいです。それと同時に、会員皆様のご商売にも繋げていければ良いと考えます。
よろしくお願いいたします。